今年もはや半年が経った、荒川の流れは梅雨の雨をたっぷり含んで滔滔と豊かだ。庭に植えたゴーヤは約一月経つが、蔓が四方八方に伸びてきた。甲府市の環境センターの講習会でゴーヤーを軒先に植えると見た目にも涼やかだし、実際外気温を下げる効果もあるという話を聞いて植えたものだ。可憐な花をそこ此処につけていて、もう既に小指程の大きさの身を付け始めている。近頃は二酸化酸素の排出を抑える事が地球環境を良くするために如何に大切かという事が喧伝されている。確かに温暖化の影響で北極の氷も40パーセント失われたという。氷が全部失われると地球の水位が5メートル上がり気温もかなり上昇するらしい。我々はともかく次代の人類の生存を確保する為にも化石燃料の使用は出来るだけ控えるべきだと思う。
随想
ほんとに偶にだが、幼い頃の事を想い出す。それは寒い夜、ふとんに包まって寝ていると、おかあさんがとんとんと二階にやってきて、ふとんのいずまいを直し身体の盛り上がっている両脇のふとんを軽く叩いてくれる事だ。昔の事だから、木綿が入っているかなり重たい掛け布団だったと思うがそのことがいやに懐かしく思い出される。また、偶に耳かきをしてくれる事があって、首をおふくろの座った腿の上に乗せるとおふくろの体温がじん割り感じられてなんとも幸せな気持ちになった。70にもなってというか、70だからというか幼いときの事がふっと思い出されることがある。お袋は16年も前に79歳でなくなっているんだが、やはり俺が死ぬまでは心の中に生きているのかなと思う。
峡東地方、乙ヶ妻のしだれ桜、慈雲寺の糸桜(4月8日)
穏やかな春の盛り、暖かくて風もない午後3時、峡東地方に桜を見に出掛けた。甲府の北バイパスを抜けて英和大学の横手からフルーツラインに入り、三冨方面に向う。桃のピンク、スモモやりんごの白い花が満開で山の斜面を美しく彩っている。連翹が黄色い花を石垣に覆い隠すばかりにつけている。近くの山山が芽吹き始めた黄緑色の若葉で煙ったように見える。三冨に向う途中、室伏というところで左に折れ、乙ヶ妻山の斜面に立っている、樹齢200年とも言われるしだれさくらをみた。太い幹から又太い枝が六本程分かれて大きく枝を広げている。後で思ったことだが慈雲寺の糸桜と較べて山に自生して育ったせいか男性的で逞しい感じがする。次に徳和の吉祥寺の桜を見て、三冨の方に少し登った所に町営の笛吹きの湯というこじんまりした温泉場があり久しぶりにそこの風呂に入った。70代ははるかに越えていると思はれる男性が六人程四肢を伸ばしてなまこのようにじっとして湯に浸かってっていた。そこから塩山は中萩原にある慈雲寺に向かった。そこまで甲州市の北側山の斜面にフルーツラインという新しい道路が出来ており素晴らしい眺めだ。慈雲寺は花を愛でるお客さんで一杯だった。風が一吹きすると花びらがはらはらと舞い落ちてくる。慈雲寺のサクラは優美で儚げだ。さくらを堪能した後同じくフルーツラインを通り勝沼インター中央道に入って帰途に着く。。
好天に恵まれた一月二日国立競技場で行われた準決勝。テレビで観戦した。国立は広いので実際に行っても豆粒ほどにしか見えない。矢張り秩父宮だ。木造の外野の観覧席が懐かしい。さて、試合の方は早稲田の圧勝といっていい。東海は大舞台が初めてとあってか、実力を充分発揮することなく終わってしまった。接点で何度も早稲田にボールを取られたり、ラインアウトでもボールを取られたりいい所がなかった。激しい接戦を予想していたのだが、早稲田の各選手の気迫に飲まれたというか、二人の外人選手も持ち味を出せずに終わってしまった。早稲田ではいつものように瀧澤、有田、フランカーの小峰、中村、主将の豊田、宮沢、中浜寛三、のバックス陣、フルバックの田辺秀樹あたりが縦横に活躍した。ま言ってみれば全員の勝利だ。こんなに強いのに、何故帝京や明治に負けたのかわからない。やはりスポーツは気持ちのもっていき方というか集中力が如何に大事かということだと思う。試合が殆ど決まった時点で、二つ相手にトライを取られたのがそのよい証左だと思う。写真は元旦二日の荒川の風景です。
謹賀新年
二千九年一月二日
明けましておめでとうございます。今朝も昨日と同じく7時に起きて運動靴に履き替え荒川の河川敷に出掛けました。昨日より若干温度が高めですが、川面には薄氷が張っており、きれいに刈り取られた芝には朝日が差して輝いております。流れの止まった荒川の川面には水鳥たちが固まって浮かんでおります。自然の営みは人間の愚かな思考を超越して静かに時間を刻んでいるように感じられます。昨年の秋口から突然津波のように襲った経済の逆回転も既に四、五年前から気付かされていたものなのです。経済用語で言う「信用」がいかに浅薄なものなのかを思い知らされました。上杉鷹山を持ち出すまでもなく、われわれ人間の生活は質素倹約を宗として、自分の収入の範囲内で生活すべきでしょう。己を知り自己の矩を越えず、謙虚を第一義とすべきだと思いました。とは、申せまだまだやりたい事が一杯残ってますので、とにかく時間を大切に過ごしたいと思います。元旦の計はサムエル ウルマンの言葉です。
You are as young as your faith, as old your doubt ;
as young as your self-confidence, as old as your fear,
as young as your hope, as old as your despair. Samuel Ullman
H20.11.23.24 早慶ラグビー観戦、向島百花園
朝9時9分發のあずさで新宿に向かう。10時45分に新宿着。南口の駅構内にあるドトールコーヒーでコーヒーを一杯。山手線 内廻り渋谷駅 渋谷区 信濃町 に乗り換えて曳舟駅
天意とは言わぬが自分の思うようには生きて生きたい。
そこから歩いて隅田川を見に行く。白鬚橋を真っ直ぐ行くと、日暮里駅行きのバスが走っているので、そのバスに乗って、三河島駅前で降りる。今から51年前、大学受験でお世話になった中村さんの家があるはずだからだ。前から一度は尋ねてみたいと思っていたのだが、これまでの行動は成り行きで特別計画を立ててやったものではない。細い路地を三百メートルぐらい歩いていくと小さな喫茶店があったので、そこに入る。60過ぎのオッサンが近所のこれまたオッサンと世間話をしていた。中村さんの事を尋ねると、通りを隔てた直ぐ近くで確かに中村米店というお米屋さんがありますよと教えてくれた。コーヒーを二杯とトーストを食べその店を出る。中村さんの店は直ぐ見つかった。最近立て直したばかり様な二階建ての店で、店先では休みの日なのに盛んに精米をしていた。50歳位の店主らしき人が店で働いていたが、勿論代も変わっているし突然の事なのでそのまま歩いて三河島の駅まで戻った。その通りは商店街になっていて、当時の賑やかな様子は今でも頭に残っている。三河島からまた都営バスで浅草へ行く。休日もあってすごく賑やかだ。
浅草寺の本堂でおみくじを引いた。生まれて初めてだ。こういうことは全く信じないたちだが大吉と出た。来年はすごくいい年だそうだ。是非そう願いたい。商店街の中のつるやという店で天丼を食う。そこから地下鉄で早稲田に行き。自治行政研究会の会に出席する。39名出席。佐藤君大変でしたね。ご苦労様でした。29年卒の鷹野さん、鈴木さんの挨拶も大変立派でした。特に鈴木さんは65歳にして早稲田大学院に入りなおし、国際経営学を習得して立派に学位を習得したとか。30名の大学院生が卒業の時には21名になっていたという。以って瞑すべし、人間は年齢ではない、やる気だと。
掛かった主な費用、中央線往復運賃 5600円、ホテル代8500円、ラグビー観戦1500円、飲み代2100円、バス400円、タクシー800円、自治研会費10000円、地下鉄810円、計29710円。
11月15日(土)県民の日。七五三。エイズ撲滅。
今日は23回目の県民の日、小瀬球場を中心に秋空の下盛大に開催されました。横内知事が挨拶をし、山梨県は自然環境、桃葡萄の果物、貴金属、等等他県に誇る物がいっぱいあるのに、マーケティングが下手で地元が潤っていないのは残念だ、これからは県民一体になって頑張りたいと挨拶されました。確かに宮崎の東国原知事をはじめ今や知事が先頭に立って営業の先頭に立つ時代です。私は黄色い帽子の関係で暫くの時間園内で頑張りました。そして、孫の七五三お祝いの為武田神社へ、午後はエイズのパネルディスカッションの会に行きました。高校生の女子の4割に性体験があるというのは驚きというか、私が無知なのか。
ウオーキング 7月14日
朝、6時過ぎ、近くの荒川河川敷に散歩に出た。散歩というよりは運動を兼ねているのでウオーキング。昨日、夕方から雷を伴った激しい雨が降ったので、河川敷一帯は芝も遊歩道も濡れていて、朝の冷気も漂い大変気持ちがいい。既に何人かの男女が黙々と歩いている。中にはお早うございますと声をかけてくれる人もいる。大体中年以上、前期、後期高齢者の皆さんがただ。皆何とか病気をせずに健康で平安な生活をしたいと考えているに違いない。皆、誰もが年をとりたくない、健康でいたいと思っているが、なかなかそういうわけにはいかない。私みたいな健康に自信を持っているものでも通風になるのだから。60歳、過ぎるとどうしても身体に色んな変調がくる。えてして自信過剰な者ほど病気になりやすいのではないか。仕事のストレス、アルコール、過度の運動、これらは厳に慎むべきかもしれない。何事も過ぎたるは及ばざるが如し。コスモスが綺麗に咲いていた。
不安 孤独 の時代 六月十二日 (木曜日)
8日の日の日曜日、東京秋葉原の中心街で一人の若者の無差別殺人があった。7人もの人が殺され、十数人もの人が怪我をした。その若者は携帯のサイトに事件直前までの自分の行動を詳細に記録していた。しかも、歩行者天国が始まる時間まで乗車していた二トントラックを待機させていた形跡があり極めて計画的といっていい犯行だ。ダガーナイフという殺傷能力の高いナイフで四人もの人を一刺しで殺した。どうして、こんな恐ろしい事が白昼の東京で起きるのだろうか。
その若者は一見どこにでもいるような普通の若者だ。小柄でめがねをかけ神経質そうにも見える。青森県の実家は両親と弟の四人家族である。青森高校という県では一番の進学校に入って周囲からは期待されていたがその後徐々に成績が下がり性格がねじれていったみたいだ。大学には進学せず岐阜の自動車専門学校を卒業してからは職業を転々と変えた。最後は派遣社員になり静岡県の裾野にある関東自動車で働いていたようである。何時仕事を辞めさせられるのかわからない不安や孤独が彼の頭の中を何時も渦巻いていたのではないかと思う。
この事件の前にも、川崎で派遣社員が一軒隣に住むマンションの女性を夜待ち伏せして襲い自室でその女性の身体を切り刻んで排水溝に捨てたと言う事件があった。その男性も働いている職場では優秀な働き手と評価されていたようだ。
今、日本では若者の派遣社員が百万人以上いると言われている。彼らは派遣会社に登録され、仕事がある期間だけ働く。何の保証も無く、将来の展望も無いまま人生の極めて大事な時間を消費している。会社内での仕事は極めて細分化されたマニュアルに沿って与えられた仕事だけをするという人間的感情等全く入りこむ余地の無い仕事だ。彼らは大都会の中で根無し草のようにその日その日を送っているのだ。
両親や周囲の人間が手を差し伸べられる環境にあればいいのだが今の日本の社会は残念ながらそれが無い。日本の社会の隅々まで社会構造が根底から崩れ去ろうとしているのだ。
言ってみれば、若者だけでなく、全ての日本人が不安を抱えて生きていると言っていいと思う。
一見、華やかに見える消費社会の中で言い知れぬ不安や孤独にさいなまされながら日々の生活をおくっている人がなんと多いことか。
5/18 Sudden Hospitalization
At Sunday night perhaps 9.30P.M. I was suddenly caught by dizziness while I was reading some book. Very bad feeling like all the blood in the brain was subsiding instantly and chills and nausea struck me. I felt something unusual was happening because heart was pounding. I managed to get down to the Living room. I tried to call for help to my wife. But I couldn’t. I couldn’t say a word.
After few minutes my wife opened the door and ran to where I was lying. .I asked her to call for 119. Soon after she acknowledged the situation, she called 119 and explained my condition. Ambulance car came in a few minutes with three members. Each member seemed to have each role. One man soon examined my blood pressure and also my eyes by pen light. The captain of the crew began calling hospitals . He seemed to try the best hospital for my illness. After all I was taken to Jonan Hospital Kofu
5月3日
雨上がりの早朝いつものように中楯に向かう。土手のアスファルトが昨夜来の雨で湿って気持ちがよい。ヒタヒタと冷気が伝わってくる。杜甫の詩に
好雨知時節
当春及発生
随風潜入夜
潤物細無声
下の二句が好きだ。今日も静かな一日が始まる。
4月25日、モディリアニ、ルオー、マティス、渡辺誠
初夏のような爽やかな風の吹く四月の二十五日私は甲府発九時のあずさで東京に出掛けました。新聞をひととおり読んだかなと思う間もなく、10時半には新宿に着きました。新宿駅を地下鉄大江戸線 に乗り換え六本木駅
此処は東京ミッドタウンと言われてるそうですが、私はPrecceという食品店で木村や総本店の粒餡入りぱん、とサラダ、牛乳を買って建物の外にあるチョットしたテラスで食事しました。広い芝生では金髪の子供が走り回ったりして甲府では見られない光景でした。キムラヤのアンパン美味しかったです。日本で最初に餡子をパンに封じ込めてアンパンとして売り出したのは木村や総本店ですからね。次に汐留駅に向かいました。松下電工汐留ミュウジアムで展示されているルオーとマテイス展を見るためです。マテイスの作品が少なくて残念でした。4階の会場から下を見るとなにやら時代がかった建物がありました。何だと思って下へ降りてみると、日本で一番最初に汽車が走った新橋操車場の一部を残した建物でした。例の「汽笛一発新橋をー」。そうか、この地域一帯は国鉄の汐留操車場の再開発した地域なんですね。とにかく東京はすごい。田舎者は歩くだけで疲れます。
救い無き日本
最近、たて続きに比較的若い青年が無差別に他人を殺傷する事件が発生している。普通の家庭に育った一見普通に見える青年がどうしてこのような卑劣で残酷な殺傷事件を起こすのだろうか。常識では考えられないような事件がこのように頻繁に発生すると今の日本の社会にはそれなりの病理が潜んでいるのではないかと思う。
考えられるのは、そのような青年は「特に」だが家庭、周囲の社会、又は職場で全く孤立しているか疎外された存在ではないかということだ。家庭、学校の中で疎まれ、自分の殻の仲に閉じこもって、パソコンの殺伐なゲームで一日過ごしていると、現実と非現実の境目がみえなくなってしまうのではないかと思う。一見豊かに見える今の日本の社会が実は将来に明るさが見えてこないがんじがらめの管理社会に成り果ててしまっていて、人並み以上の能力のある人間はいざ知らず、並みの人間では将来に対して夢が持てない社会になってしまったのではないか。
頑張っても神経をすり減らすだけで、ストレスだけが溜まってしまうような今の日本の社会だったら変えねばならない。犯人たちが顔を隠すのでもなく、能面のような平気な顔をしているのも共通していえることだ。これは、どう考えてもおかしい。今の日本は狂っているとしか思えない。
今朝の荒川の水面には薄く氷が張っていた。河川敷の枯れた芝生に空気が氷となって張り付き、朝日を受けてキラキラ輝いていた。山の稜線がきれいだ。空気が冷えたせいか、はっきり見える。甲斐駒、鳳凰三山、南アルプスが富士山まで今日は実にきれいだ。芝生の上を走ってみた。ラグビーの選手のように右の走り、左に走る。全速で前進し一瞬止まり、ステップバックする。見事にころんでしまった。慶応の山田や早稲田の田中将太が見せる走り。物凄い運動神経だと思う。今福岡伸一の著、生命とは何かを読んでいるが、解らんなりに実に面白い。人間の身体は脳細胞から全ての臓器まで常に再生産されており、時々刻々新しくなっている。だから今の自分は明日の自分ではない。だから一歩前に進む気持ちがあれば、進化していくのではないか。そんな気がする。ただ、肉体と精神がバランスを保たないといけない。動的平衡というやつか。
謹賀新年
一年の計は元旦にありと申しますので、私の抱負を述べます。
1.万事、慎重に熟慮せよ。軽挙盲動しがちな私を戒める言葉。
2.健康に留意せよ。事故を起こすな。一昨年脚立から落ちて腕の骨を折り、回復するのに半年掛かりました。
3.Global な視点で考え、行動する。日本は今やアメリカ、中国、ロシア、インドの巨大な国の狭間で埋没しつつある。以上。
日々の生活は、一碗両粥 天に謝し地に謝し 平安是福也。毎日を感謝の念を忘れず過ごしたいと思っています。この記事を読んでいただいている方々の今年一年の幸せを願いあげます。
松たか子が結婚を発表した。相手は16歳も年上の男だ。セリフがいい。「音楽の仕事で出会い、ゆっくり時間をかけて交際をしてきました。これからもお互いを尊敬しあい、時間を重ねていけたらと思っています」同じ男の仲間としてうらやましいね。You are the best thing I've ever met in the screen. Best wishes for your life.
商店を除く会社官庁が仕事納めの今日私の長年の友人から電話が掛かってきて今日を限り商売を閉めると電話があった。彼とはもう40年近いお付き合いをしている古い友達で話を聞いたときは何ともいえぬ気持ちになった。青年会議所に入っている頃は、繊維の卸し会社を経営していて毎晩9時、10時頃まで煌煌と電気をつけて社員が頑張って働いていた光景が目に浮かぶ。そういえば甲府の繊維の卸問屋は殆ど姿を消してしまった。所謂町の洋品店が無くなってしまったのだから無理わない。その後彼は様々な職業に就いたが最後はラーメン店の店主になって今日まで来たが奥さん共々肉体の限界を悟ったのかこのような仕儀と相成った。彼の他にも矢張り小学校からの友人のT君も今年の秋店を閉めた。甲府の町の中心部で持ち帰りのすし屋さんをお父さんの代から引継ぎ真面目な商いでお客の熱い信頼を得てきたのだが、本人自身の高齢化とお客さんの高齢化、若い人の支持を得られなかったことが原因と考えられる。他人事でない深刻な問題だ。
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