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三月二日から四日、二泊三日旅行、古都を訪ねて
NHKの高校生講座、日本史の番組を見て、日本の古代史、特に大和朝廷の成立過程に興味を持った。縄文、弥生時代が西暦紀元前まで数千年続き、主に大陸から稲作技術がもたらされ、銅、や鉄器の製造技術が伝播されるに及んで大規模集落が各地にでき、各地に部族国家が出現した。
魏志倭人伝によると邪馬台国の女王卑弥呼が時の中国の皇帝に使いを出したという記事がある。たぶんその時代は各地の王と名乗る部族が互いに争って覇を競っていたに違いない。この辺の時代は古墳時代だろう。飛鳥時代を経て奈良の平城京時代、京都の平安京時代へ続いて藤原氏の摂関政治が400年近く続いて国風文化が花開いた。
奈良は高校生の三年生のとき修学旅行で法隆寺、隣接する中宮寺、また東大寺、興福寺、薬師寺、若草山の鹿と戯れたぐらいで、正直余りなじみが無い。一度じっくり見て回りたいと思っていた。
一日目は甲府発7.56のあずさで東京へ9.26着。新宿から中央線に乗り換え東京へ、東京駅始発10.33分新幹線ひかり409号で京都に向かった。朝自宅で軽い食事は済ませてあったが、口が寂しいといけないので駅の構内にある売店で品川巻を探した。例の小さな米の揚げたのに醤油をのせ海苔で巻いた菓子だ。ところが売店の女性が品川巻がありますかと聞いてもまったく知らないのだ。逆に品川まきって何ですかと聞かれてしまった。昔はどこの売店にもおいてあったはづの菓子である。結局趣味の味と書かれている薄い揚げた煎餅やピーナッツ、柿の種がいろいろ入った菓子を一袋買った。時代が変われば売っている商品も変わる。われわれはとうとう化石人間、いや後期高齢者のお仲間入りだねと女房と顔見合わせて笑ってしまった。京都駅に着くと構内にある蕎麦屋さんに入り雛御膳を食べた。三輪そうめんの細いそばにプリプリの海老の天麩羅としし唐がのっていておいしかった。いかにも京風で薄味だ。13.50発のJR奈良線で奈良に向かった。奈良駅に着くと隣接するホテル日航奈良にチェックインし必要な荷物だけ持って外にでた。この日は晴天で比較的暖かかったので歩いて見学するには丁度よいお天気だ。東大寺前でタクシーを降りた。東大寺は聖武天皇建立の世界最大の木造建築物だ。大仏の大きさも勿論だが建物の壮大さにも圧倒される。何度か戦火にもあって鎌倉時代に再建されたという話も聞いているが現代のような進んだ道具が無い時代にこのような壮大な建物を建てる技術に改めて感動する。渡来人の高い建築技術や石工技術に負う所も大きいであろう。東大寺をすっかり堪能して正面の南大門から歩いて奈良国立博物館に入ったもうすでに4時半を回っていたので五時まで三十分しかなかったが駆け足で見て回った。別館入り口正面にあった国宝薬師如来像の堂々としたお姿に心を打たれた。元興寺にあった仏像だという。どっしりと落ち着いていて、包み込むような温かみを感じた。そこを出て興福寺の境内を歩き馴染みのある五重塔を眺めた。だいぶ夕闇がせまってきた。猿沢の池に沿って道を下っていくと商店街に着いた。ピアノという喫茶店でコーヒーを飲む。若い店員と家内が会話を交わした。現代風のかっこよい若者だ。そこを出て元興寺を訪ねた。途中狭い道路を挟んだ古い住居の前を歩いたがこういうところに何世代にもわたって住んでいる人の生活はどんなものかと偲ばれた。今御門町、勝南院町、西新屋町を抜け、広い道路を渡ったところに奈良町物語館という変わった店があったので思わず入った。入り口で若者が篆刻のはんこを彫っていた。吉野杉でできた箸と楊枝入れを買った。元興寺はもうすでに戸がしまっていた。二月堂のお水取りが7時から始まるというのでそこから歩いた。ホテル奈良の横を通り荒池を過ぎ春日大社の表参道を登って若草山の麓を左に向かった。もうすっかり日が暮れてかすかな電灯の灯と人の流れについていった。疲れた。かなり歩いた。女房もよく頑張るなと思う。二月堂には7時5分前ごろついた。漆黒の闇の中から突然火の粉があがった。お水取りが終わると奈良に春がやって来るのだという。1250年も続く伝統行事だ。バスで奈良駅まで乗りやっとホテルについた。PM8.30ホテ
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