北陸名城を訪ねて

Img_5745 北陸名城と桜見物 412日,13日

東京駅7.40集合、北陸新幹線金沢行08.12乗車、富山着10.27バスに乗り高山古城公園へ、因みに今回の参加者は43名、お天気は上々、桜は満開でした。今朝の出発が早いため11日のうちに上京、ホテルNIKKO台場に宿泊しました。12日の昼食は新幹線のなかで幕の内弁当が配布されました。旅行会社はJTBの旅物語39800円のツアーです。バスに乗り途中能作という会社を見学しました。歴史のある会社ですが茶器茶道具だけでは時代に取り残されると新しい発想で時代にあった鋳物づくりに挑戦している会社です。大いに参考になりました。それから金沢市内にある兼六園を訪問。豪華絢爛たるさくらの饗宴に圧倒される思いでした。そんじょそこらの桜とは其の咲き振りにおいて全然風格が違う感じでした。また庭内の赤松黒松も素晴らしく多くの庭師が一年中手塩にかけて手入れしているのがよくわかります。この日は芦原温泉清風荘に一泊。大きくはありますが団体向けに特化した旅館といったイメージです。

13日は八時出発。丸岡城に行きました。一筆啓上火の用心お仙泣かすな馬肥やせ、日本一短い手紙を書いた本田作左衛門で有名なお城です。次に一乗谷城址を見学。織田との戦いに敗れ城も屋敷も三日三晩焼けて灰燼に帰したそうですが最近発掘が進み観光資源として脚光を浴びつつあります。戦国の世とはいえ浅井との盟友関係から織田と戦わざるを得なかったのは悲運と言わざるを得ません。朝倉藩主以下一万人の住人がこの狭い谷合いに住んでいたそうです。ここも当時の栄華を偲ぶかのように桜が其方此方に咲き満開でした。次に大野市にある天空の城、大野城を見学しました。標高二五三メートルの山のてっぺんにあるお城です。初代藩主金森長近はなかなかの人物だったようです。天守閣にたどり着くには大門から20分はかかります。足の弱い人には無理ですね。昼食はいつものように、蟹の足が数本、甘エビが三本といった感じでもう少し工夫が必要だと思いました。富山駅に戻り新幹線で東京へ、東京駅始発の甲斐路でPM11.37甲府につきました。

2019年5月29日 (水)

日本は病んでいるか(2019,5,29)

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日本は病んでいるか

 

昨日(5月27日)の朝、7時40分ごろ川崎市麻生区でバス停でバス待ちしていたたくさんの小学生児童の列に50代の男が両手に柳葉包丁を持って切りつけ、39歳の男性会社員と11歳の女子児童が死亡、10名以上が重軽傷を負う殺傷事件があった。事件発生から僅か数十秒の間に無差別で犯人が児童を切りつけた突発的犯行で、犯人の男はそこで自分の首を切りつけて自殺してしまった。最近発生する凶悪な事件に共通するのは加害者に事件の発生につながる明確な動機が見つからないことだ。今回の事件の究明はこれからだが、犯人の男は事件現場から数キロ離れたところに高齢の男女と一緒に住んでいて所謂ご近所付き合いは殆どないそうである。透けて見えてくるのは今の社会からは隔絶されたところに住んでいる人の閉塞感である。華やかで便利な生活をエンジョイできる層とは全く懸け放されたところに住む人がごまんということに我々は注意を向けなければいけないと思う。バス待ちしていた小学児童の生徒はカリタス学園とかいうミッション系の私立の学校である。恐らく良家の子供達で綺麗な制服に身を包んでいたと思われる。毎朝のそういう姿をその男は見ていたのではないか。突発的な事件ではありながらそこには事件を起こした男のモヤモヤした気持ちが鬱積していたとも思われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年5月26日 (日)

石割山に登る(2019,5,25)

 

 

石割山に登る(2019.5.25

 

今月末の一週間は日中温度が35度以上に登る真夏日が予報されている。私はM氏と相談して山中湖の西側にそびえる石割山、続いて平尾山、大平山、飯盛山(いいもり山と読む)、長盛山と歩いて湖畔にあるホテル迄降りてくるルートを歩く事にした。5時間のコースタイムである。朝5時半コンビニ前を出発、目的地の石割山登山口まで一時間半を想定した。予想通り7時チョットすぎに到着、早速登山着に着替えて出発。日中の温度が35度以上の真夏日を予報されているので上はユニクロの半そでTシャッツである。403段の石段を登り石割神社に着く。高さ15メートルはあろうかと思われる大きな花崗岩があって真ん中あたりに幅1メートル位の亀裂が縦に入っている。願をかける人はそこを何周も回るそうである。商売繁盛とか、子宝祈願とかの類と思われる。私とM氏は一周だけしてお賽銭をあげ鉦を鳴らして深々と頭を下げた。石割山の頂上には85分ほどかかった。お天気が良かったので木々の若葉が青い空に映えてそれは美しかった。途中大阪から来た10人前後の元気なご婦人の一行に出会った。昨日は三つ峠山に登ったのだという。普段富士山を見ることがないので石割山から見る富士山は何にも代えがたいご馳走であろう。石割山の頂上からは徐々に高度を下げて平尾山、大平山、飯森山、長盛山と歩いて湖畔の別荘地帯を歩いてバス停のあるホテルマウント富士に着いた。五時間歩いたことになる。バス停に若い女性が人待ち顔なので声をかけるとタクシーを呼んで待っている処だという。同じ方向なので同乗させてもらうことにした。まもなくワゴンタクシーがきて石割山の駐車場まで運んでもらった。料金は2800円。助かった。歩けば3時間は裕にかかるだろう。近くの石割の湯にゆっくり体を休めてM氏の車で運転していただいて甲府に帰った。

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2019年5月19日 (日)

春の六大学野球 早稲田対法政を観戦

春の六大学野球 早法戦を見る

K君と久しぶりに東京六大学野球の早法戦を見た。試合開始はAM10.30、三塁側の早稲田の応援席だ。この席で観戦するのは初めてだ。K君はいつもここだという。500円で見られるので確かに安いことは安いが座ってから試合が終わるまで声をからして応援しなければならない。可愛い女子学生の応援団部員がひっきりなしに近づいてきて一緒に応援しましょうとせがまれるので、こちとらも普段出せないような大声を出して歌ったり拍子木みたいなボール紙でできた扇子を叩く。両方ともなかなか点が取れなかったが終盤法政の打力が上回って2対0で早稲田が負けてしまった。試合終了後K君と新宿のつな八でてんぷらを食べた。久しぶりで旨かった。

2019年5月11日 (土)

2019.5.8~9 窯変天目茶碗を訪ねて

 

 

 

 

2019.5.8~9 男と女は人種が違う

あずさ2号甲府発7.39で東京に向かう。東京駅には9.27に着いた。一旦東京駅八重洲口の表に出る。いいお天気だ。駅に向かって両サイドに5.60階位の高いビルが建っている。東京都の建築基準法上の高さ制限が大幅に引き上げられた関係で駅の周辺にはノッポビルが集積している。オリンピックを控えているのでホテルなども建築ラッシュだ。さて大丸が10時オープンなので早速地下の食品売り場に降りて弁当を物色した。新幹線のぞみ25号AM11時発に乗って京都に向かう。今回の旅行はJR東海の一泊二日の企画旅行、国宝窯変天目茶碗を見学する旅だ。かなりマニアックな旅だが募集したらすぐ満員になったそうだ。参加者28名中男性は5名他は年配の女性。京都駅に集合すると早速大型バスに乗って滋賀県にあるMIHOミュージアムを訪ねる。MIHOとは私は初めて聞く名前だが滋賀は信楽の山中にあってツアーででもなければなかなか訪れることはできない。ここに世界に三つしかない窯変天目茶碗の一つが展示されている。長い列を作って辛抱強く待ちながら天空に輝く星座のような茶碗を目を皿にして眺めるのだ。二時間ほど滞在して京都に戻り夕食は湯葉づくしの懐石料理を食べた。なるほどこういう料理を食べていればメタボにはならないだろうと思う。京都の女性に肥満体の人は少ない所以だ。宿泊先は去年出来たばかりのホテル。狭い部屋だが必要な機能は揃っている和洋風の部屋だ。BBに特化しており朝食がバイキングだが結構うまかった。

5・9は午前中大徳寺の聚光院、狩野永徳の襖絵を鑑賞する。有名な金毛閣の山門の横を歩く。昼食は京都吉兆の松花堂弁当、依水園を見て奈良国立博物館に向かう。ここでは藤田美術館所蔵のもう一つの窯変天目茶碗を見る。一説には10億円以上の値が付く価値のある茶碗だそうだが、実際に使うよりも眺めていたほうが良いような気がする。折角来たので近くの興福寺を訪ね出来たばかりの根本中堂を見学。創建以来八度目の再建だそうである。さて今回のツアーだが男と女は別な人種であることを発見した。女は初対面な相手でもあたかも百年の知己のように平気で会話を交わし、松花堂弁当を食べるときもビールを飲む。中には大きな声で騒ぐ女もいる。そこへ行くと男はぽつねんとして誰と会話を重ねるでもなく中空をぼーと見ている。70代過ぎの男女に限られた傾向かもしれぬが。

 

 

2019年5月 6日 (月)

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小楢山に登る(5月4日)

 

故楢山登山(5月4日)

10連休中の丁度中日、天気予報が晴天と予報していたので小楢山に登ることにした。小楢山にM先生と登るのはこれで三回目だ。この山は牧丘町から西北に伸びた丘陵地帯にあってその奥には国師岳、甲武信岳等の2000メートルを越える山々が連なり晴れていれば甲府盆地をはじめ遥かに富士山も眺められて雄大な景色を楽しむことができる。

しかも英和大学のある甲府の東のはずれから高速道路が牧丘迄つながっていて交通の利便性が高いのだ。牧丘町はブドウの巨峰の産地でどこを見渡してもブドウ畑だ。我等二人は二台の車に分乗して朝6時に家を出た。まずフフの駐車場に一台を止め、もう一台の車に二人乗って塩平の先林道を走って焼山の駐車場に車を止めた。九時登山開始、一時間半で頂上に着いた。頂上は比較的広い大地になっていて白樺やブナ、楢等の自然林が抜けるような青空に映えている。暫く休んで姫恋路をフフに向かって下っていく。フフに着くのに二時間ぐらいかかったか。駐車場に止めてあった私の車に乗って、焼山峠に車を取りに行った。

帰り道鼓川温泉の野天風呂でゆっくり身体を休めてから甲府に帰った。

 

2019年3月 7日 (木)

2019,3,4,5 東京行

東京行 一万歩 2019.3月4日5日その1.

日経新聞にセルゲイ アントノフのチェロリサイタルが三月四日にあると知りチケットの手配をした。その際一人で行くことも考えたが一応女房にも声をかけないと後がうるさいので、「世界的なチェロ奏者の演奏会が東京の日経ホールであるけど行くかい」と声をかけた。彼女は是非行きたいと答えた。演目はバッハの無伴奏チェロ組曲第一番ト長調BMV1007他コダーイ無伴奏チェロソナタ作品8.である。この日は寒くて雨模様。PM12.11発のスーパーあずさに乗って13.33新宿駅に着いた。気温が低く、冷たい雨と風が吹いていた。東京駅に着くとまず地下道を歩いて駅前にあるKITTEに入った。SAZAコーヒーを飲むことと、はなまるという回転すし屋で寿司を食べるためである。SAZAのコーヒーはカンブリア宮殿で見て感心したのだが茨城の田舎から出てきて東京の一等地で果敢に商売をする姿には感動した。コーヒーよりも働くスタッフが真面目で田舎っぽいのはいいと思った。一階のフロアーには伊藤園やスターバックスなどのコーヒー屋さんが目白押しなのである。やはり店のコンセプトをしっかり持たないといくら客の流れが多いと言っても持たないのではないかと思った。寿司屋では一時間以上待たされた。種はいいし安いけどあくまでも回転ずし屋であることに変わりはない。握りの上に種がのっかっているという感じだ。四時半ころそこを出て東京駅の地下のコンコースを歩いて地下鉄丸ノ内線に乗り換えてひと駅大手町駅で降り又ひたすらあるいて日経ホールに着いた。東京へ行くときは歩くことを覚悟しなければならない。特に地下鉄を利用するときにはただひたすら歩く。階段も登ったり下りたりする。だから足が丈夫でないと東京での生活は充分に堪能することはできない。PM6時半開演、演奏は素晴らしかった。2007年チャイコフスキー国際コンクールで優勝している実力者だ。最後の演奏種目コダーイのチェロソナタは私は初めて聞いたが彼の持っている力というか技術というか才能をすべてささげて弾きこなしたという印象を受けた。演奏会が終わった後、また同じルートで東京に戻ってかねて予約しておいた品川にあるグランドプリンスホテル新高輪に投宿した。最初に希望したホテルでなかったのは昨今の東京は外国人が多くてなかなか希望するホテルがとれないためである。このホテルは一休を通して予約したが巨大なホテルである。羽田、成田にも近い関係か旅客の八割は外国の観光客である。そのほとんどが中国人だ。地下一階にあるコンビニでインスタントのそばとおにぎりを食べてすぐ横になって寝てしまった。

三月五日

朝6時に目が覚める。私の体内時計は正確だ。どこにいても大概六時には目が覚める。もう41年目に入る朝の水泳のおかげだ。一階のレセプションデスクで高輪界隈の事を聞くと近くに泉岳寺がありますよというので、改めて妻を伴って泉岳寺に行ってみる。今朝は昨日の一日降った雨が止んだ後で空気が澄んでいて大変気持ちがいい。泉岳寺は江戸時代何回か大火に会い又戦災で焼失もしたがそのたびに立派に再建された。趣のある重厚なつくりの本堂が建っている。徳川家の庇護、また四十七士の菩提を弔う墓所として大切の扱われてきたのだと思う。一旦ホテルに戻りチェックアウトを済ませてから、高島屋日本橋店で買い物を済ませ甲府に帰った。

2019年2月13日 (水)

2019.2.13

2019.2.11 春寒

今日は二月11日、月曜日建国記念日なのでお休みだ。ここのところ厳しい寒さが続いていて昨日は東京で雪が降った。甲府は幸い雪が降らない。雪が降ると厄介だ。少しの雪でも道は凍るし、雪かきをしなければならない。今年に入ってブログのほうはご無沙汰していたが親戚に不幸が二件あって、折角予約していていた海外旅行をキャンセルしなければならなかったのは残念だった。一つは次男の義母がすい臓がんで一月28日に亡くなった。二年前にすい臓にがんがあることが解って約二年闘病生活を送っていたが肝臓に転移しているのが解って、それからは坂を転がり落ちる感じで死を早めてしまった。小柄で優しい、良いお母さんだった。もう一人は私にはいとこにあたるH氏だ。年は私より一つ上だから81歳くらいだと思う。昨年の夏ころから体調を崩していて、手足が思うように動かなくなっていたらしい。奥さんの話だと延命治療は絶対してもらいたくなくて家で死にたいと言っていたという。私とは何十年も音信不通なのでその間の事情はよく分からないが奥さんとは棟を別にして住んでいたので臨終の際には訪問介護の人しかいなかったらしい。人にはそれぞれの人生がある。しかし今わの際には愛する人に見守ってもらってあの世に行くのが理想だと思うが、どうだろうか。私も80歳を迎えて後何年生きるかわからないが、最後にお前のおかげでよい人生を送ることができた。ありがとうと妻に言ってあの世のいけたら一番幸せだと思う。

2018年12月31日 (月)

2018年を振り返って

2018.12.31

朝のプールがお休みなので、AM6.30少し遅く起き、シャワーを浴びてから荒川に散歩に出た。空気は冷たいが、空は澄み渡っており東の山並みの上ににょきっと頭五つぐらい高い富士山が白銀に輝いている。大晦日なので今年の事振り返ってみよう。今年は自然災害がダントツに多い年だった。鹿児島の新燃岳の噴火、群馬県白根山の噴火、沖縄の沖口永良部島の噴火等々日本列島のあちこちで火が吹いた、七月になると日本列島が熱暑に見舞われ、40度を超える高熱で熱中症になる人が続出した。又台風と熱帯性低気圧で何日も続く豪雨が九州、中国地方を襲い数万世帯が仮設の住宅に住むことを余儀なくされた。地震も頻発した。中でも北海道の胆振地方に起きた地震は周辺の山体崩壊を引き起こし写真で見ると片側の山が半分削られた無残な姿をさらした。一連の自然災害は地球の気象変動に起因するものだと思う。いつ起きてもおかしくない東日本一帯のメガ地震。我々日本人は頭の中ではそのことがこの瞬間に起きることを承知しながら生きているのだ。さて私は70代の最後のこの一年どのように過ごしたか。健康にも恵まれ平穏に過ごすことができたといえる。妻や家族、友人に感謝したい。来年も人と人のお付き合いを大切にしながら、無事に一年を過ごしたい。世界情勢を見ると心配なことはいっぱいある。トランプ大統領の自国優先主義の行きすぎで米中関係が悪化、EU内でも保守主義が台頭し政情が不安定化している。日本が繁栄を持続させるためにはすべての国が他国に門戸を開いて自由に交易ができることが望ましい。日本の繁栄と世界の安定を期待したい。

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